古活字版

日本において活字印刷が始まったのは16世紀末頃である。その技術は、ほぼ同時期にヨーロッパと朝鮮から伝えられた。この活字印刷は数十年して断絶したが、この当時の活字印刷本を「古活字版」とよんでいる。
ヨーロッパからは1590年に天正遣欧使節が帰朝した際、活字と印刷機械を持ち帰った。この機械は九州・島原の地におかれ、日本語をローマ字表記した「サントスの御作業」などが刊行された。

日本の印刷史を考える上でもきわめて重要なのは、朝鮮の活字印刷技術である。高麗朝の13世紀にはすでに銅活字が作られていたが、李朝の15世紀初頭頃からは活字印刷が盛んになり、多くの書物が印刷されるようになった。文録2年(1593年)、豊臣秀吉軍は朝鮮からの帰国に際して大量の銅活字を戦利品として持ち帰った。秀吉はこれを後陽成天皇に献上し、御所においてはじめて活字による「古文孝経」の印刷が行われた。その後1599年には、後陽成天皇が木活字を作らせ、「日本書紀」「論語」「大学」などを出版させた。

日本の出版は仏書・漢詩文集・儒教の書などが中心であったが、活字によって本の印刷が容易になると、各種の書物が相次いで刊行された。すると新しい本の需要が増大し、出版を業とする書店も出現するようになった。
再販をくり返すものが多くなると、その度に活字を組むのは煩雑なため、ふたたび版木に直接彫りつけて印刷する「整版」印刷に移っていった。江戸時代初期の17世紀中頃から活字印刷はすたれ、以後幕末まで整版印刷が中心となった。