紙のはじまり
古代エジプトの筆写材料として用いられたパピルスは、4000年間使われ続けたが、10世紀頃に消滅した。中国で発明された製紙術が、シルクロードを経てカイロに入って来たためである。中国の紙は水に溶かして反復抄き返し利用出来たのに対して、パピルスはリサイクルされなかったからである。パピルスはパピルス草の茎を薄片に削いで貼り並べ圧着した手工法のためマスプロに適さなかったこと、また、乾燥に対して強いが湿度に弱いのも紙に負けた理由とされている。
中国では前漢時代にすでに紙が使用されていたとされるが、手抄きの製紙術を発明したのは蔡倫で西暦105年とされている。蔡倫は原料を簀に抄きあげて裏返しにして濡れ紙をはがす方法(ピックアップ)を発見した。この方法は今日の製紙術の基礎となっているものである。
中国の製紙技術史(平凡社発行)によると、宋・元の時代(1000~1200年)に木版印刷が普及し、紙の需要が増大した。紙の産地拡大と、生産原価を下げるために古紙の利用が奨励された。古紙を抄き槽に入れ新しい紙料液と混ぜて、再生紙をつくる技術が生まれたのである。古紙は煮たり、水に漬けたりする手間が省け、燃料の消費も少ないと記されている。
中国の製紙術が朝鮮を経て日本に伝えられたのは610年頃(推古天皇)とされている。
日本においては紙抄きを生抄き紙と抄き返し紙に区別しているところから、古くから古紙が利用されていたことがわかる。江戸時代(1600年頃)になると、江戸では古紙の流通増加とともに抄き返し紙が盛んとなり、庶民の生活紙(化粧紙・ちり紙類)が主として抄かれた。これが浅草紙の発祥である。
京都では官営の紙屋院において官公役場で使用済みとなった書類の抄き返しが盛んに行われた。これは宿紙(古紙を利用した意味)またはその色から薄墨紙と呼ばれ、今日でいう情報用紙として使用されていた。
紙の原料のうつり変わり
紙を水に溶かすと元のバルブに戻る。紙の利点は、この何回でも繰り返し回収利用できることである。バルブは植物体より取り出したセルロースを主体とする植物繊維の集合体である。製紙のプロセスはこのバルブを原料として、これをかゆ状にして繊維をバラバラに水中に分散させ、抄き網の上に流して薄く平らに繊維をからみ合わせてつくったものである。
昔の手抄き時代の紙の原料は麻、ボロ布などが多く用いられていた。日本に入った手抄きでは、麻に代わったコウゾ、ミツマタなどの靭皮繊維が原料となった。
紙の原料が上記の非木材繊維から木材繊維に変わっていくのは、18~19世紀のヨーロッパに起こった産業革命の波による。印刷は木版から活版、オフセット印刷となり、紙の製造方法も手抄きから大量生産の出来る機械(長網マシン)の出現で変化する。このために紙の原料は供給難となるが、木材を原料とするパルプ化法の開発で解決されていった。