風船爆弾

第二次大戦末期、なんとかして米大陸に打撃を与えたいとして、日本軍が苦心の末に考えだしたのが、風船爆弾でした。「ふ号作戦」と名づけられ、極秘のうちに計画が進められました。大きな気球を作り、水素ガスを入れて浮力をつけ、爆弾を搭載して、太平洋越しに米本土を直接に爆撃しようとしたわけです。

水素ガスを充満させても漏れない材質が必要となり、丈夫な楮紙が選ばれました。これを貼り合わせる接着剤には、コンニャク糊が使用されました。貼り合わせた紙は、苦汁液または、グリセリンに浸潰して柔軟にし、直径10メートルもの気球に仕上げられました。

一万メートル以上の成層圏で、それも零下50度の低温に耐え、水素ガスを漏らす事なく完全に連行する性能が必要でした。

昭和19年の冬から翌年の春にかけて、福島海岸などから次々と気流に乗せて少なくとも4000個が飛ばされたという事です。このうちのいくつかは実際に米本土に到達しましたが、被害は僅少であったという事です。

それにしても和紙にコンニャク糊を塗り、張り合わせた袋が、これほど強力な機能を持っているとは驚くほかありません。和紙にコンニャク糊を塗布し、強度や耐水性を著しく増加させる技術は、紙子などに使われる伝統的なものだったのです。