そのむかし、紙は貴重品

いまでこそ私たちの身のまわりにあふれている紙ですが、飛鳥時代にわが国に伝来してからしばらくの間は限られた用途にしか使われず、たいへん貴重なものでした。たとえば戸籍を書きとどめるとか仏教の経典を写すなど、永く保存する目的にのみ使われ、その他の日常的な記録には木簡が使われていました。
当時作られていた紙のほとんどは写経のために使われていましたが、写経所では多くの専門の役人が厳しい管理の下に働いていました。そこでは紙の使用枚数をあらかじめ申請し、あまったものはもちろんのこと、書き損じたり破れたりしたものも残らず返却しなければなりませんでした。また、誤字や脱字が発見された場合には、その枚数に応じて給料が差し引かれたほどでした。一方不要になった文書は、屏風絵の下張りに利用したり、その裏側をメモ用紙にしたりしていたことが、正倉院に残されている奈良時代の資料から分かっています。
今さかんに言われているリサイクルも、当時は紙が貴重品であったために行われていたわけです。