紙のない時代

1972年、中国大陸河南省の長沙で馬王堆の西漠墓が発掘された報道は、世界に異常な関心をもって迎えられた。長沙は古代、春秋戦国時代係(紀元前771-前221年)に栄えた楚の国の主要都市で、楚が秦の始皇帝に滅ぼされるまで文化の繁栄したところである。

発掘の際、発見された婦人の遺体が2千数百年前の姿のままで見つけられ、また数々の見事な副葬品が完全な形で出てきて世界中を驚倒させた。発掘の様子は映画にとられ、日本でも上映された。

しかし、この中に紙は見いだせなかった。まだ紙というものがなかった時代とて、大切なことは絹に書かれ、簡単な記事は木筒や竹筒に書かれていた。絹は昔は非常に貴重な品物で、東洋の特産としてこれがいわゆるシルクロードを経てローマへもたらされると、金と同車量で取り引きされたほどである。また木筒などは多くの字を書くことができず、かさ張って重く、不便なものであった。

春秋戦国時代に現れた孔子、孟子、老子などがその思想をこれらの木筒や竹筒に著述したものであろうから、書くのも読むのも大変な仕事であったのだろう。

古代の人は洋の東西を問わず、経験を残し、意志を伝えるためにいろいろな努力を重ねてきた。そして、各民族はそれぞれその土地で得られるものを材料として、工夫をし、研究をして、現在の紙となっているのである。